ベルリン訪問レポート

May 28, 2018

今回は本間玲子さん(りょうちゃん)からベルリン訪問についてのレポートが届いています。
 

りょうちゃんは、チェンジ・ザ・ドリームシンポジウムのファシリテーターでもあり、セブン・ジェネレーションズのイベントのコーディネートを担ってくれたり、SDGs(国連の持続可能な開発のための2030アジェンダ)の認知を広めるためのカードゲーム(SDGsゲーム)のファシリテーターをしています。

 

ご存知のようにベルリンは第2次世界大戦後の東西分裂を象徴する都市であり、またナチス政権のホロコーストによる犠牲者の存在を留めている街です。そして21世紀に至って新たなイメージを築いてきました。

 

以下、りょうちゃんからのベルリンレポートをお読みください。

 


【傷口をそのまま見せること。そして、ベルリンで思ったこと】

私はこの5月に初めてベルリンを訪問しました。

その時に見たこと、聞いたこと、思ったことをご報告します。

 

皆さんは、ベルリンと聞いて、何をイメージしますか? ベルリンの壁をイメージする人もいるかもしれませんし、ベルリンフィルハーモニーをイメージする人もいるかもしれません。あるいは、そのどちらでもないかもしれません。

 

私にとってベルリンは、「ベルリンの壁」であり、分断の象徴でした。 そして、実際に行ってみて、以前のベルリンは「冷戦の象徴」でしたが、いまのベルリンは「平和の象徴」なんだと思いました。

 

街に出ると、トラムやバス、自転車で人々は忙しく自由に移動し、過去に壁があった場所は観光地になり、世界中から多くの人たちが訪れ、笑顔で記念撮影をしています。

 

そして、カフェや歩いている人たちから、様々な言語が聞こえてきます。英語、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、etc。そして、近くの公園では、鳥のさえずりや子どもたちの笑い声が聞こえます。歴史的建造物も少しありますが、新しい高層ビルが立ち並ぶ大都市です。他のヨーロッパの街に比べると建物が新しいものが多いので、戦争で焼けてしまったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて、第二次大戦後のベルリンはアメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦(ソ連)の4か国によって分割統治されていました。

 

 

 

【チェックポイントチャーリー】

ここは第二次世界大戦後の冷戦期においてドイツ・ベルリンが東西に分断されていた時代に、同市内の東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所で、今では米軍のコスプレした人がいて、観光客の記念撮影に応じていました。「チャーリー」は特定の人名などに由来するものではなく、日本語でいうならば単に「検問所C」のような意味合いに過ぎないらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【テロのトポグラフィー】

ここは、ナチス政権の本部跡地です。

この跡地に何を建設するか長い間議論がされたそうですが、最終的にできた建物は訪れた人々に余計な印象を与えないようシンプルで控えめに、できるだけ歴史に干渉しないデザイン。

ドキュメントセンターの建築デザインのコンセプトは「開かれた傷口」。

跡地にきらびやかな建物を建てて歴史の傷口をふさいでしまうより、歴史そのものに目を向けてもらおうという狙いがあるらしいです。

 

 

 

【イーストサイドギャラリー】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、壁が崩壊した後、世界各国のアーティスト118人が壁に絵を描き、文化財として保存されているオープン・ギャラリーです。 「自由」や「ユートピア」をテーマにした作品が多く、その中でもユーモラスなものもあれば、深く考えさせられるものもあり、とても見応えがあります。観光客はそれぞれお気に入りの絵の前で記念撮影をしていました。長さ1,316mは世界最長、101面の大きな壁面に描かれた作品を無料で見ることができます。1961年8月13日から1989年11月9日まで、約30年間存在していたベルリンの壁。壁のために犠牲になった人たちの数は、136人とされています。

 

【つまずきの石】